落下注意

140文字じゃ足りないこと

些細な抵抗

大学4年生の6月、このモラトリアムもそろそろ終わりだということに気づいた。正確に言うと、ずっと前から薄々感づいていたが見なかったことにしていた現実と遂に向き合うことにした。

人並みに希望や自信、やる気を懐いて入学したが、振り返ると何も成し遂げられなかったのではないか、何も積み重ねていないのではないかと思わずにはいられない。

 

 

留学には行かなかった。バイトは1つしかしていない。資格は取っていない、それどころかTOEICの点数は入学時と比べて30点ほど下がったし運転免許もまだない。恋人は出来ていない。腹筋は割れていない。第二言語だったスペイン語はあいさつ程度しか覚えていない。成績優秀者への奨学金は全く縁がないほど単位やGPAは低空飛行のままだった。絵や曲、小説など何かを生産することもなかった。

電話レンジを偶然発明しタイムリープを繰り返すことはなかった。黒髪の乙女の姿を追い夜の京都をさまようことはなかった。入るサークルを幾度もやり直すことはなかった、どころか4年の今もずっと同じところで活動中だ。農業大学で発酵について学んではいない。現代視覚文化研究会には所属していない。芸大で群像恋模様は繰り広げなかった。音大でピアノの奇才には出会えなかった。

 

恐らく、いや確実に今からでも留学には行ける。バイトは増やせる。資格も本気を出して勉強すれば取得できるものもあるだろう。タイムリープは難しいが、恋模様は何とかなるだろう。お金や時間は覚悟を決めればどうとでもなる。それでも行動には移せない(移さない)。そうやって生きてきたからだ。

 

だがこのまま同じことを繰り返して、同じ選択肢を選びつづけて、いや選ばずに思考を停止して大学生活を終えるのは嫌だ。

些細でもいい。自分以外の誰にも分からなくていいから、出来るだけ多くのことを選びたいと思うようになった。

これからは出来る範囲で普段聴かない曲を聴き、通らない道を通り、食べないものを食べ、着ない服を着よう。積み重ねれば少しは厚い人間になれるのではないか。今まで選ばずに流されてきた自分に些細な抵抗がしたくなった。

このブログを更新したのだってそうだ。作って放置していたが、誰かの真似事でなく、今の自分の本音を文字列にして残したくて久しぶりにアプリを開いた。

 

手始めに、晩飯を食べに行った松屋で使ったことのないフレンチドレッシングをかけてみた。

これはこれで悪くない。世界が少し広がったかもしれない。